戦後の農地改革とは?目的、中身、GHQとの関係を解説

戦後政策

第二次世界大戦に日本が負けた後に取られた民主化政策の一つが「農地改革」です。「農地解体」「農地開放(×解放)」とも言われます。現代の日本では農業従事者がほとんどいないので、いまいちよくわからない学生さんも多いはず。

この記事では、戦後の農地改革の目的中身についてわかりやすく解説します。GHQとの関係もよくわかるので最後まで読んでみてくださいね。

農地改革とは

農地改革(農地開放)とは、第二次世界大戦後、小作農の割合を減らし、自作農の割合を増やした政策のことです。

広い農地を所有している「大地主(寄生地主)」から、日本政府が強制的にその土地を安く買い上げ、その土地を借りていた「小作人」に、安く売り渡しました。

Point

自分では農業をしない地主を「寄生地主」土地を借りて農業をすることを「小作農」、その農業従事者を「小作人」と呼びます。反対に、自分の土地で農業をすることを「自作農」といいます。

農地改革は戦後、日本で行われた「民主的な憲法の制定」や「財閥解体」などの民主化政策の一つです。

では、そのような政策をする必要がなぜあったのでしょうか? その目的や詳しい中身などについて解説します。

農地改革の目的ってなに?

農地改革の目的は、戦前、日本にあった封建主義的と呼ばれる体制を、民主的な体制に改めるためです。

戦後、日本を占領したGHQ(連合国総司令部:戦勝国から成る日本の占領・統治組織)は、日本が無謀な戦争に突き進んだ原因を、軍部の暴走と、それを許した日本国内の封建的な制度にあると見ました

そのため、大地主が持っていた広大な農地を事実上小作人に与えてしまうことで、農地に存在した封建体制を解体し、日本を民主化させようとしたことが農地改革の目的になります。

 封建制度とは?土地を借りることの何が問題なの?

では、封建制度とは何でしょうか?

封建制度とは、大地主が、小作人に土地を分け与える見返りに、その土地を耕し、守る義務を与える制度です。

こうすると、封建制度は地主と小作人のギブ&テイクの関係に見えます。しかし、実は違います。

小作人はその土地を追い出されると、住む土地と仕事両方を失って、たちまち路頭に迷ってしまいますが、大地主はまた別の小作人を雇えばよいだけです。立場は大地主の方が上になるわけです。

Point

現代の賃貸住宅も関係性は似ていますが、通常、借主は仕事は別にあるので、マンションを追い出されても小作人のように路頭に迷うことはありません。関係性はほぼ対等です。

だから小作人は大地主の言うことに従わざるを得ません。これは丸々王様と国民の関係性と似ています。民主制ではなく王権制です(封建制だけど)。これを考えると、封建制度の残る農地は、戦後日本の民主化を進める際の大きな障害になるとGHQは考えたのでした。

なぜ「農地改革」が重要なの?

農業国家ではない現代日本では、「なぜ“農地改革”が公共などの教科書に載るほど重要なのか」が想像しにくいかもしれません。

なぜ農地改革がこんなに重要なのかというと、日本の農業人口はかつてはとても多く農業政策が国の政策に大きく影響を及ぼしたからです。次のデータを見てください。

出典:総務省統計局『国勢調査100年のあゆみ』26頁

日本の農業・漁業などを含む第一次産業の就業人口割合は、大正時代から戦後の1950年代くらいまで50%前後を推移しており、第二次産業、第三次産業よりも圧倒的に多いです。

高齢化が進む現代日本では高齢者政策が国を左右するのと同じように、戦前や戦後は農業政策をどうするかで国の進む方向が大きく変化したわけです。

農地改革の内容は?

それでは、具体的に農地改革の内容を見ていきましょう

1)政府が大地主から土地を低額で強制的に買収

農地改革の第一歩は、まず、政府が寄生地主から土地を低額で強制的に買収しました。

強制的に取り上げるのではなく、一応お金は支払いました。しかし、敗戦直後は日本は激しいインフレーションに見舞われ、今日の100円が、数か月後には10円の価値しかなくなるほどの混ん頼した経済でした。

そのため、大地主は自分の所有する農地という財産を事実上強制的に取り上げられたのと同じダメージを負いました。

2)小作人に安く売り渡し

政府が買い取った農地は、速やかに、その土地で実際に農作業に従事していた小作人に安く売り渡されました

これによって「自作農」つまり、「自分で耕す土地は自分の所有物」という現代の日本にまで受け継がれる農地の構造が完成しました。

これによって、1940年代30%ほどあった小作農は5.6%にまで減り、反対に、30%であった自作農は60%以上に増加しました。

農地改革って成功したの?GHQとの関係は?

農地改革は、戦後の民主化政策の中で最も成功した政策といわれています。

というのも、先ほど紹介したように、小作農から自作農への転換が非常にスムーズに行えたからです。

これはGHQが及ぼした影響もあるといわれています。

GHQは戦後の日本の民主化のために影響を及ぼしました。戦後の民主化政策は日本政府が推し進めたものですが、実体はGHQが許した政策以外はとることができませんでした。

第一次農地改革と呼ばれた日本政府が用意した最初の案は「不十分である」としてGHQは承認しませんでした。そこで出てきたより民主的な第二次の案がGHQで許可され、農地改革へとつながっていきます。

良くも悪くも、戦後の政策を語るうえでGHQの存在は看過できません。

まとめ

戦後の農地改革について解説してきました。農地改革とは…

  • 戦後の農地の民主化のために行われた政策
  • 大地主から土地を小作人に移した
  • 結果として小作農が減り自作農が増えた
  • 戦後の民主化政策で最も成功した政策といわれる

です。背後に存在していたGHQの存在も見逃せませんね。